故郷佐渡島の紹介

 


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佐渡の兄の家 帰省の記念写真
林の中に建つ 玄関より
無名異焼 茶室
生家のある風景 金北山神社の大杉
金北山神社 金北山神社
 矢島と経島  佐渡薪能
   
佐渡薪能 佐渡薪能
小木宿根木船大工の家 小木たらい舟
小木宿根木船形の家 小木たらい船
千石船「白山丸」(北前船) 小木宿根木

本間家のルーツ

 本間家の先祖をたどると、相模国本間村から、鎌倉時代佐渡に渡り、一族は越前、 越後に分かれ、酒田へは永禄年間(1558〜1570)に移ったと伝えられています。

 有名なのは山形県酒田の大地主である本間家のひな飾り。本間家は酒田の豪商として栄え、明治時代には日本一の大地主といわれていた。「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と俗謡に謡われるなど、大名以上の資産を持っていたという。なにしろ、寛政年間には貸しつけている金だけで54,000両もあり、明治時代には酒田市に納められる租税収入の四分の一は本間家一家だけで払っていたというから、並み大抵の地主とは桁が違う。
この本間家、ルーツは神奈川県厚木市の地名で、武蔵七党の一つ、横山党本間家の一族だが、酒田本間家では村上天皇の末裔で村上源氏としており、はっきりとしない。

ともあれ、厚木の本間一族が佐渡に渡って佐渡本間氏となって栄え、今でも佐渡には本間姓が非常に多い。この分家に出羽本間家があり、さらに分家した本間原光という人物が酒田で商人として成功したのが、酒田本間家の祖。時代でいえば江戸中期の元禄時代のことである。大地主というと、先祖代々住んでいたと考えがちだが、酒田本間家は江戸中期になって酒田で成功した新興地主なのです。
本間氏の菩提寺   建徳寺(臨済宗建長寺派)

(厚木市)

建徳寺境内の本間氏累代の墓

(厚木市)

本間氏一族の供養塔

(厚木市)

  本間氏は鎌倉時代から室町時代にかけて相模国に勢力を持っていた武士で先祖は海老名に

   住んだ海老名源八季定の次男能忠が分家して依知郷に移り住んだものです。依知地域には

   本間氏館跡と伝える地名も残っています。本間氏累代の墓と伝えるこの宝篋印塔と五輪塔は

   南北朝時代から室町時代までのもので壊れたものを含めて二十八基ほどあります。

   時代的にもこれほど多くの石造物群が保存されている例は少なく、その時代の特徴をよく表わし、

   美術的にも優れたものといわれています。

   平成二年三月

    厚木市教育委員会

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